鬱で引きこもり主婦が在宅で収入が得られるかやってみた

生産性ゼロ。生きてるだけで大迷惑。から抜け出したい

久しぶりのフラッシュバック

久しぶりにフラッシュバックが起こりました。

小学3年生の頃のことです。

 

小学3年生は学校が毎日地獄のようでした。

担任がパワハラの塊で

少しでも気に入らないことがあると怒鳴り散らし

授業は一切やらずに職員室に帰ってしまうんです。

それが週に10回以上はあったと思います。

おかげで3年生の教科書は3学期の終わりにも半分以上終わっていませんでした。

それから、気に入らないことがあると

子供たちに自分で自分の頭をげんこつさせるんです。

「げんこつ100回」が口癖で、

担任の前で気を付けをして、自分の頭を100回殴るんです。

弱くげんこつするとやり直しなので強く殴らないといけませんでした。

自分自身でげんこつをやらせる理由は

100回もげんこつすると担任自身の手が痛くなっちゃうから、というものでした。

悪いことをすると1時間目から5時間目まで廊下に立たされたりもしました。

その時は給食も廊下で食べさせられました。

給食と言えば、おかわりしていいのは担任だけでしたね。

子供は一切おかわり禁止でした。

彼女の好物が出たときは最初から大盛りにしないと癇癪を起していました。

とても太っている人で、体系を隠すためだと思いますが

いつもダーク系のマキシ丈のワンピースを着ていて、魔女のような見た目でした。

迫力もあるし、9歳の子供たちにとっては怖くてしかなかったです。

ほかにもいろいろやりたい放題で

子供たちをいたぶって楽しむ、まさにサディストでした。

 

この頃はパワハラなんて言葉ありませんでしたし

不登校する子なんてほとんどいない。

だから担任にどんなにひどいことをされようとも

学校に行かないという選択肢はわたしたちにはありませんでした。

今だったら大問題になると思うんですけど

親たちも先生に文句を言っていくなんてこと

ほとんどない時代だったと思います。体罰も普通でしたしね。

たまに正義感の強い少数の親が学校に苦情を言ったりもしたみたいなのですが

すべてもみ消されていました。

担任は親が教育委員会の偉い人だったのでで怖いものがなかったんですね。

 

毎日のように「死ねば学校に来なくていいかな」

と友達同士で話すほど、学級みんなが参っていました。

母にもしょっちゅう「死ねば学校に行かなくいいのかな」と話していましたが

母はいつも「馬鹿じゃないの」と笑って一蹴でした。

当時のわたしにとっては深刻なことだったのですが

母は面倒くさいという感じでした。

当時は「死ぬ」ということがまだよくわかっていない年齢でしたが

幼いながらに本当に毎日苦しくてつらかったんです。

だから母の態度には毎回傷ついていましたし

何も行動してくれないことにも傷ついていました。

不登校になるという選択肢はないし、

9歳の子供同士でどうにか耐えるしかありませんでした。

 

そんな環境で

まもなくわたしはおねしょをするようになりました。

ほとんど毎日です。

母は毎朝烈火のごとくわたしを叱りました。

しょっちゅうビンタもされました。

「9歳にもなって恥ずかしい、ちゃんと起きてトイレに行け」

「とにかく早く治せ」と言うのですが、

そんな、自分の意志でどうこうできるものじゃありません。

祖母は「精神的なものだから叱っちゃだめだよ」と言ってくれていたらしいのですが

ですが母にはそんなことどうでもよかったみたいです。

おねしょが続くと「治らないなら外で寝ろ」「治せないなら出ていけ」

「おしめをしろ。自分で買ってこい」などと言うようになりました。

ほっぺや体をつねられたり、ビンタも多くなりました。

最後にはおねしょをした布団を

小学生が集団登校する時間にわざとみんなに見えるよう、干すようになりました。

とてもショックで、目の前が真っ暗になるようでした。

「やめて」と言ったら

「いやなら早く治せばいい」の一言。

この時、人生で初めてのどに何か塊がこみ上げてくるような感覚を覚えました。

それからはほとんど毎日

おねしょの布団は通学路に向けて、登校時間にわざと干されることになり

わたしは本当におねしょを治したいと思っていたのですが

結局、学年が変わって担任が変わるまで治りませんでした。

ちなみに、母はわたしがトイレに行けるよう夜中に起こしてくれるとか

目覚ましをかけてくれるなどの工夫は一切してくれていません。

 

精神的な原因でおねしょをするようになった子供に

さらに輪をかけてストレスを与えるなんて

大人になった自分から見ても信じられないしすごいなとおもいます。

娘の精神状態より、布団を汚されるわずらわしさの方が勝っていたんでしょうね。

自分が一番。自分の感情が一番のひとなので。

 

この「おねしょの布団干し事件」がわたしにとっては相当にショックで

いまだにときどきフラッシュバックが起こります。

当時の気持ちを思い出しては泣いています。