鬱で引きこもり主婦が在宅で収入が得られるかやってみた

生産性ゼロ。生きてるだけで大迷惑。から抜け出したい

楽になるということ

若いころはつらくでどうしようもなくなると

「死にたい」と思っていましたが

最近は「楽になりたい」「もう許してほしい」と思うようになりました。

 

去年、某女優さんが自ら命を絶たれましたね。

ニュースを聞いた時は時間が止まったみたいになって

しばらく何も考えられはませんでした。

自分でも信じられないくらいショックを受けました。

家族でも友人でもない、とても遠い存在の人なのに

うつの症状が出てしまうくらいダメージを受けました。

 

彼女の死が本当にショックで悲しく、

そのうち気分がふさぐようになりました。

それがどんどんひどくなり

夜になるといろんなことがつらくて悲しくて

大泣きするようになりました。

旦那さんはおろおろしてしまって。

そりゃあ自分でもどうしていいかわからないのに当然ですよね。

ほんとうに申し訳なかったです。

 

 

そのうち、自ら命を絶った女優さんをとてもうらやましく思うようになりました。

ここからはわたしの勝手な想像ですですが

彼女は肩の荷を全部降ろして楽になったんだ、と思ったんです。

彼女は「いつも笑顔ではつらつとしている人」

「本当に細やかな気遣いのできる人」

「誰からも好かれる人」「面倒見の良い人」

だったと関係者のお話として語られていました。

表舞台だけじゃなく、裏側でもイメージ通りの方だったんだと思いました。

でもそんなに明るくいつも笑顔の方が、いなくなってしまった。

自分の中にどんなに大きな苦しみや悲しみや怒りを抱えていたんでしょうか。

想像するだけで、これを書きながら涙が出てしまうほど苦しくなります。

 

「いつも笑顔で誰にでも好かれる人」というのは理想の人間像だと思います。

でも、そうなるためには大きな努力とたくさんの我慢が必要なのだと思います。

彼女は「いつも笑顔で誰にでも好かれる人」であり

「いつも笑顔で誰にでも好かれる女優」であり

「いつも笑顔で細やかな気遣いのできる」妻であり

「いつも笑顔で細やかな気遣いのできる」母であろうと

常に努めていたのではないかと。

なんて、多くて重い荷物なんでしょう。

考えただけで肩がズーンと重くなります。

もしかしたら彼女はその荷物の重さに耐えられなくなって

楽になることを選んだのかもしれません。

(あくまで勝手な想像です。)

 

いつも笑顔で誰にでも好かれる人であろうとする人は

「無責任だ」

「がっかりした」

「期待外れだった」

「そんな人だと思わなかった」

などと言われることにとても敏感だと思います。

そう言われないよう努力し、いろいろなことを我慢していると思うんです。

ともすると自分で自分を見張っていて

他人のいないところでも自分で自分にがっかりしないよう

期待外れにならないよう、ふるまっているかもしれないです。

でもそんなことを続けていたら、

そんなにもいつも張りつめていたら、

いつかプツンと糸が切れてしまうと思うんです。

 

二人も子供がいるのに、とか

まだ子供が幼いのに、とか

死ぬくらいなら思うようにすればいいのにとか

死んでもまだ「無責任だ」と言われてしまうんですね。

とても悲しいです。

でも生きて、いろいろなことを放り出してどこかへ逃げてしまったら

やっぱり「無責任だ」「そんな人だと思わなかった」

って言われてしまうんでしょう。

逃げたいけど、全部捨ててしまいたいけど

結局どこにも逃げられない。

全部放り投げてちょっと休むことも許されない。

だからもう荷物を降ろして楽になることを選んだ。

頑張ることをもう、許してもらおうとしたんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

わたしの荷物は多くはないですが

重くて、何もかも放り出したいと思うことがしょっちゅうあります。

死ぬくらいなら何でもできるだろうというけれど

もし家出してどこか遠くに逃げたとしても

またそこで新しい荷物が生まれると思うんです。

わたしにとっては人間関係も大きな荷物なので

生きている限りは逃げられない。

だから、本当の意味でつらいことから解放されて楽になるには

死ぬしかないんですよね。

 

今はまだ通院したりで回復しようと頑張れていますが

支えてくれている人の負担を考えると

罪悪感でたまにつぶれそうになります。

 

いつもごめんね。

いつもほんとうにありがとう。